そういえば“特異日”と言われるほどもそうそう晴れるとは限らない。
むしろ梅雨の最後の悪あがきが発揮されて雨が多い頃合いじゃあないかなと、
今年もやはり随分な雨の降った中、そっとやって来たこの日だと気が付いた。
週の初め辺りから台風切っ掛けの大雨が列島を蹂躙したものだから、
それどころではないということか。
そういえばあまりディスプレイ自体を見なかった気がするし、
いかにもな生木の笹飾りなんて
主婦や子供らを相手にするよな商いででもない限り、
飾るという発想さえ沸かない昨今なのかも知れぬ。
…だったからだろか
小さなバーの店先に、やや貧相ながらも大人の背丈ほどの笹飾りが立っており、
金銀のテープやら七色の折り紙で作った短冊やらが飾られてあったのが、
そんな記憶なんてない貧民街育ちの芥川にも郷愁めいた感慨を呼んだ
…のだろうか?
当人にはしゃれっ気なぞ欠片もない、ただ適当に切っただけという散切り頭。
ただし細い質の猫っ毛なので手触りは格別な柔らかさなので、
相棒の手癖の真似じゃあないが
二人きりの時は心置きなくわしゃわしゃ撫で繰り回す
愛し子の形のいい後ろ頭へ つい目が行った太宰であり。
“いやまあ、何をするにもついつい視線が向いてしまうのだけれども。”
見どころがあればこそ、自ら動いて手に入れた逸材だったし、
異能も気性も、不器用なところも、
まだ幼いというに自尊心が強く、なのに頑迷で意地っ張りなところも。
ついでに…洗ってみたらばエキセントリックながら整った面差しだったところも。
現世に絶望していた太宰にとって、何とも刺激的な存在だった直属の部下くんだったが、
だからこそ、大事にしたいと思ったがため、そりゃあ懸命に考えあぐねて出した最適解が、
自分の手で慈しんではいい結果は生まないという とんでもない結論で。
それでなくとも子供同然という年少者、しかも癖の強い人性で知られていた太宰へは、
知に走るあまり情を大事にしないところへ反感を持つ構成員も多かったので。
それでも首領の秘蔵っ子の幹部様本人にはあたれないと来れば、
もっと幼い、しかもまだまだ未熟な部下に側杖が向くのは火を見るより明らかだったので。
裏社会の非情さを知るのはいいが、何でまた どこぞのしょむない馬の骨にそんな洗礼を許そうか。
…混乱のあまり、日本語までおかしくなったほど
可愛くてしょうがない、虎の子ならぬ黒獣の子を守るため、
なのに何でかどうしてか、目を覆いたくなるような折檻もどき
他の構成員の耳目がある場でこそ そりゃあ厳しく当たるという、矛盾に満ちた所業へ走ったお陰様、
『あああ、せめてお風呂嫌いを克服させときたかった〜〜っ。』
若しかして今生での真っ当な再会は叶わないかもしれないというほど、
遥か遠い彼岸と此岸へと離れること、余儀なくされた別離を前に、
やっぱり何か妙なことが心残りだったらしい、うら若きお師匠様だったそうで。
はて、何の話をしたかったんでしょうか?(おいおい)
真っ向からの再会果たしたその頃は、
敵対組織にいた身だし、何と言ってもまだまだ未熟な青年のあれやこれやが
目に余るレベルで到底完成には至ってなかったし。
こりゃあもうちょっと嗾けた方がよかろと、
ついつい師匠としての算盤が働いてしまったところが、哀しき策士の性癖(サガ)よ。
そんなこんなで拗らすだけ拗らせた仲だったが、
妙な意地やら 誤解と不器用さやらが錯綜し、屈折しまくってた想いが
何とかやっとこ通じ合えて以降、
もうもうつれない素振りなんて要らないのだという開放感から
反動つけすぎて…というべきか、
威厳も何もあったものじゃあないほどの猫っ可愛がりに転じているのだから世話はない。
そんな対象の素振りだっただけに、おや?と視線がついつい留まった。
“???”
社から掛かって来た連絡に気づき、
携帯片手に立ち止まった太宰だったのへ付き合って足を止めたまで。
視線がそっぽ向いたのは こちらの会話に関心を寄せぬため。
だというのは判るのだけれど、
向こうを向いた彼の後ろ頭しか視野には入ってないというに、
なぜか、その硯石のような双眸が笹を見ていると思えた太宰で。
終盤はおざなりな相槌のみだった会話を済ませ、
ぱちんと二つ折りのツールを閉じた音でこちらを向いた彼には
やはりさして変わったところなぞなかったものの。
「どうして。七の夕と書いて“たなばた”と読むのか。」
「…っ。」
一瞬ハッとした辺りが判りやすく、そのまま何で判ったのだという態度になる。
任務中は感情も薄い、
いかにも漆黒の虐殺者という冷ややかな風情をたたえているくせに。
そういえば今日はいつもの黒外套ではなく、
雑踏に紛れる必要があったのか、大学生と言って通りそうなジャケット姿であり。
襟元もいつもの領巾のようなクラバットじゃあなく、
シルクか更紗か軽めのストールを巻いているだけ。
非番の日に敦と街歩きするよな格好でいる彼なのへ、
目映いものでも見るように
睫毛を透かすよにして双眸たわめるお師様で。
「もともと、七月七日は中国から来た五節句の一つで、“しちせき”と読んだんだよ。
一方で、たなばたっていうのは棚に機織りの機と書く、昔の織り機のことでね。
古い日本の習わしで、何かしらの奉納を行う折には
乙女が機を織って神に供えていて、一種の禊みたいなもんだったんだが、
仏教が伝わると、その儀式はお盆を迎えるためのものとなり、
七月七日に催されるようになった。」
それで、しちせきを“たなばた”と呼ぶようになったんだなと、
ゆっくりと歩みだしながら滔々と紡いでゆく太宰であり。
何のメモもないままに、するするとそんな蘊蓄が出てくる彼なのへ、
「…。///////」
夢見るような含羞を仄かに口許へ滲ませて、
語り部の口上に誘われる童よろしく、芥川もまた同じ歩調で歩み出す。
日が長くなりはしても宵の口を過ぎた時刻、
しかも裏町なためか明かりもそうそうな明るくはなくて、
本来は肩を並べて歩くのが不自然な二人連れだが、
余り似てはない兄弟のような空気をまとった彼らへは、関心の眼もさして向かぬようだ。
「そこへ、平安時代に中国から“乞巧奠(きこうでん)”の伝承がやってきた。
本来は 織女星にあやかって、はた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習だったのが、
楽を奏で、詩歌を楽しむという格好で宮中での宴のお題目にされたよなものでね。
江戸時代になって民衆の間にも広まった折、
織女と牽牛の伝説が加わって、
今のような年に一度しか会えない恋人の日みたいになっちゃったらしい。」
ちなみに、短冊に願い事を書いて下げるのは、
そもそもは裁縫や習字が上手になるよう頑張ります、っていう決意の奉納だったのが、
上手になりますように、なったらいいな、
なれるよう後押ししてねと段々神頼みになってったらしくて。
「っていえば、敦くんも納得だと思うけど。」
「う…。///////」
何でそこまでお見通しなのだと、再び芥川の頬に含羞の朱が滲む。
そして、それを見てのことだろう、
そりゃあ楽しそうに和んだお顔でくつくつと笑うのだ、この人は。
元はマフィアの幹部だったからというのではなく、
そもそもの人柄や、博識で切れ者だという中身の重厚さが仄めいてのことという順番で、
本来そりゃあ存在感のある人なのに、
平生は故意にか掴みどころのない態を装っており。
黙っておればどこか高貴な血筋のお人かと思われるような
端正にして精緻透徹、それは美麗な面立ちをし、
上背もあっての腕足も長く、若さに見合った精悍さも備え。
所作動作にも品があって、話し声にも雰囲気があっての甘く優しく、
非の打ちどころのない美丈夫で。
だが、そこへ油断をしておれば、
そりゃああっさりと何から何まで読み取られ、
それはあっさり手玉に取られてしまうおっかなさ。
「…何で人虎の名が出るのです?」
太宰の側こそ、中也の話をついつい持ち出すと微妙に機嫌が悪くなるくせに。
何でまた、ひょんな弾みとも思えぬ恰好であの少年の名が出たものか。
匂わせるような話なぞしちゃあいないし、
「だってさ、キミの頭から、今言った “何で?”は出て来ないだろう?」
「う…。////////」
任務中はちゃんと集中する子だが、そうでないときはよそ見の多いところがあって、
それでちょくちょく電柱にぶつかってもいるうっかり屋さんで。
そんな敦くんに比すれば、キミは相当にしっかり者だからねと、
そうと言いつつも、どこかがまだまだ青くて目が離せぬということか
愛でるように双眸をたわめたまま、じいと幼い恋人を見やる太宰であり。
「昔よりは感受性も備わって来てて、花を見て綺麗だとは思うだろうけど、
七夕のエピソードも中也に聞いてか知っていようけれど。」
ふふんと此処で鼻の頭にしわを寄せ、ちょっぴり意地悪く笑って見せてから、
「七夕って何であの字にあの読みを当てるのかなぁってのは、
それこそいかにもあの子が疑問に思いそうなことだ。
しかも、あんまり人にばっか訊くなと中也からくぎを刺されてもいるらしい。」
「…え?」
そこは知らなんだということか、
判りやすくも音がしそうなほど睫毛を上下させて瞬いた愛し子へ、
「こういうことをあの子が訊く相手となれば、私とか探偵社の大人ってことになるだろう?」
それが癪ならしいよ? あの男にも悋気深いところがあったんだねぇ、と。
男気の塊のような帽子好きなあの幹部様を恐れもなくそう評し、
いつの間にか辿り着いていた、通りの外れの古い石橋のうえで立ち止まる。
表通りほどライティングは派手じゃあないがそれでも街中、
ましてや昼間も雨だったせいか、頭上の空には星影どころか月もなく。
これでは今年の雲上の逢瀬は叶わぬらしいとでも思うたか、
高い視線が蒼穹をするりと仰いでから、そのまま黒の青年へと向けられる。
「…4年も逢えなくて寂しかったかい?」
「…。」
置いてった私が言えた義理ではないけれどと、
口許は相変わらず笑んでいたけれど。
双眸に浮かんでいるのは、いつの間にやら真摯な色合い。
そうと訊いた声も心なしか低くて、ちょっと聞いてみただけと誤魔化すには無理があるような。
そして、そうと問われた側はと言えば、
「…正直、判らなくって。」
え?と。
声なく問うた太宰へ、申し訳なさそうに口許を歪めると、
「何も言われず、放り出されてったということが、
ああその程度にしか把握されてなかったかと。」
卒直が過ぎて今聞くと痛いなぁなんて、
勝手ながらそちらもお顔が歪みかかった太宰だったが、
「そうと気づくのが怖くて、怖いなんて思う自分が悔しくて。でも、」
そんな仕打ちへ怒るより
胸の奥のほうをごっそりともがれたようで苦しくて。
「時々息の仕方が判らなくなって。
痛くて苦しくて、ああこれが辛いってことかって初めて知って。」
ちょっぴり節の立った、だが、まだまだ小ぶりな手を胸元へと伏せる。
少し俯いた横顔は、暗がりの中でもそれと判るほどに白く。
「…そっかぁ、寂しいより先に辛いって思っちゃったか。」
そんな罪作りなことをした
身勝手で非情なばかりだと思ってたお師様は、だけど今、
天へと仰がせた横顔に、何とも言えない切なげな表情を載せていて。
「殴られようが蹴られようが、負けん気がへし折れやしなかったキミなのにね。
私ってばよほどにキミとは相性悪いのかも知れないね。」
「あ…。」
いやあの…と、言い過ぎたかなと不安になった。
この人もあまり器用とは言えないお人だ。
頭は切れる。人を食うよな言動も巧みで、気が付けば追い詰めてた側が追い込まれている。
情を大事にしない人じゃあないらしく、だが、肝心な相手へはなかなか伝わらない。
いやさ、伝えるつもりなんかないようで、
そういうところが水臭いと心有る人たちから歯痒がられてもいる。
利口だが馬鹿なんだあいつはよと、
中也が苦々しく言うのが、最近芥川にも理解できるようになった。
そんなこんなより何よりも
この完璧すぎるお人に相応しい人間になるには、
未熟な自分ではまだまだ道のりは長く遠いようで。
ふしゅんと表情を曇らせて、俯きかかったその顎先へ、
するりとすべり込んだのが、たのもしい手のひらで
「こらこら、何で俯くかな。」
今はこうやって一緒に居られるじゃないか。
物陰からこそこそと覗き見しなくていいだなんてどれほどの至福だか、と。
無駄にきりりと冴えたお顔になって感慨深げに頷くお人へ、
「……えっとぉ?」
あれ?結構真摯なお話してなかったですか?
というか、こちらからは長いこと逢えずでしたが、
そういやずっと見守っていたとか言ってましたよねと、
お師匠様の張っていた輻輳策の巧みさへ、
ちょっと時間を貰って考察してみた方がいいかも知れない、
あまりに一途な一番弟子さんだったりするのであった。
〜Fine〜 18.07.07.
*なんか微妙なお話になっちゃいましたな。
連載の方には手を付ける暇が出来そうになかったので、突貫で七夕話を一席…と。
ちなみに、中也さんと敦くんの方は、
しっかと笹を飾って一般的なことやってみてるんじゃなかろうかと思われます。
ハスの葉っぱから露を掬って墨を磨ってお習字してたり。
…何か、日本びいきの外国人客を案内するガイドさんみたいだな。(笑)

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